うつと生きていく死にたがりだったもの

感情に変化があった時に書いてます

レゾンデートルって言えば格好良くないですか?

「生きる意味」Google先生に聞いてみると、一発目に宗教チックなサイトが出てきました。

生きる意味を見出そうとするようなことはきっと私以外にもしている。

「価値」とか「意味」とか「理由」とか、何かがなくては生きていてはいけないような気持ちになってしまう。

不安なんですよね。自信がないんです。

 

最近ひとつだけわかったことがあるとすれば、

漠然とした「自分の生きる意味って何?」という問いが生まれるのは何もしていない時が多いんです。ぼーっとしている時

やることもなくただ自室のベッドの上で時間を潰している時、湯船に浸かって温まっている時、犬の散歩中、BGMやTVを点けずに食事をしている時、寝る前、目が覚めて身体を起こすまでの間…

頭に何も考えない隙を与えた途端、「なんのために私は生きているんだろう」と考え始める。

心が病んでいることは確かだとは思います。

 

となるとずーっと忙しくしていたり、ひたすら考え事をしていた方がそんな悲観的な考えは浮かばないのでは?

そういえば仕事をしている最中はそんなことを考える暇などなく走り回っていました。

その結果今の私が生まれたんですけどね。

じゃあダメ…なのか…

 

テレビをなんとなくみていると、外国の明るいマダムが「人生は一度きりなんだから楽しまなきゃ!」とUSJで知らない人たちと踊っていました。

一度きりの人生なのはみんな同じ。この人はこんなに楽しめているのに私はただ時間がすぎていくのを待っているだけ。

アニメの主人公みたいに「世界平和のため」に日々怪人に狙われる地球を救うような「誰かのため」生きてみたい

でも親のため?彼のため?仕事のため?どれもピンとこない。

子どもでもできたらその子のために生きることができるようになるかもしれない。わかんないけど。

自分のために生きていると胸を張って言えるような人間になりたいなぁ。

 

そもそも「何のために生きている」か考えもしない人の方が多いのではないか…?

何でそんなこと考えるのと言われてしまえば私にもわからない。わからないけど疑問として勝手に浮かんでくる。

この問いについて考えている方が不毛なのかもしれないですね。

 

何かのために生きたいがために怪しい宗教にのめり込んで「教祖様のために尽くす」というような人々が生まれるのかな、とぼんやり思います。

気持ちは分からんでもない。この漠然とした虚無感から解放されるのなら何かにすがりたくもなる

 

とりあえず考えてばかりでも時間の無駄ってことはわかっているので、自分のやりたいことを少しずつ取り組んでいこうかな。

こうやって誰がみているかも分からないブログに今のありのままの気持ちを書くこともやりたいことの一つですし。

自分のために生きる第一歩として、自分がしたいと思うことをやる。

今の私にはそれくらいしかできないな。