うつと生きていく死にたがりだったもの

感情に変化があった時に書いてます

はじめて親に死にたいと言った話

つい口走ってしまった。

正しくは「こんな狂った世の中で生きていく自信がない」と言った。

生きていける自信がないからさっさと「死にたい」という意味で。

 

基本的にどんなに病んでいた時も声を殺して自室で一人で泣くようにしていた。

誰かに慰めて欲しいわけでも、諭して欲しいわけでもなく、

いっぱいいっぱいになって溢れ出してしまったものを一旦落ち着けるための行為だったから。

 

今日は違った。

私が出せる限りの悲鳴を2,3回発し、

眩暈がするほど過呼吸になり、

からしばらく立てなくなるまで咽び泣いた。

 

自分1人の力ではどうにもならない出来事に遭遇すると、

無力な私は泣いて死を乞うことしかできなくなる。

ちっぽけだ。本当にちっぽけ。

 

 

それに対し母は強い。

私がどんなに取り乱しても的確な言葉と20年ぶりの抱擁で優しく包んでくれた。

 

母にかけてもらった言葉で完全復活できたわけではないが、

心の整理のためにブログを書いている。

もちろん泣きながら。

 

 

私にできることはただ一つ。

それは、他人を諭したり正しい道に戻したりすることや、

自分から情報発信することでもない。

正義が勝つことを信じて、勝利するその日を見届けるために生きること。

 

人にはそれぞれ置かれている状況がある。

そして時間は限られている。

情報が真実か、利権まみれの嘘なのか調べ上げるまでに相当な時間がかかるように、

本当に欲しい情報は見つからないように隠されている。

 

悪者の作った狂った世界で息苦しいのなんて当たり前だ。

ここはもう元居た世界ではないのだ。

逆回転し始めた歯車に噛み合わないのは当たり前だ。

マジョリティが強そうに見えてしまうのも仕方のないことだ。

 

それでも私は、正義が勝つ日を信じて生きる。

「夢見て」じゃなくて「信じて」生きる。

じっと家で自分がやりたかったことに集中して時間が経つのを待つ。

そうしてないときっととっくに自ら命を絶っている。

 

私は専門家でもなければ人望もお金もない。

だからできることは真実を知り、世の中は必ず良い方に動き出すと信じること。

 

 

ぼかしにぼかして書いているから、このブログだけでは何が何だかわからないと思うけど、敢えてそうしている。

誰かとこの話をするのさえ辛いから。

ただ、一年半前の「死にたい」から、現在の「死にたくなるけど頑張って生きる」に変わってることだけでも伝わっていたら

それでいい。