「実家に帰らせていただきます」って未だに使うのかな
2年ぶりに実家での生活を再開しました。
きびなごです。
食卓に並ぶおかずの品数の多さや、浴槽に張られたお湯を見て
「実家のような安心感」という比喩の意味がわかったような気がしました。
最近はというと引越し作業に追われ、“きびなご”での活動があまりできていませんでした。
ブログの投稿、Twitterの更新、stand.fmの録音等々滞っている…。
私の投稿を待っている人がいるかどうかが問題じゃない。
私が私のためにやっていることなので自分がやりたいかどうかが問題なんです。
ネットでの活動なんてそんなものです。
誰かに必要とされるようになったら儲けもんですけどね。
だから自分の欲しい機材も自分のために買うし、
ブログを書いているデスクも引っ越して真っ先に片付け終わる。
(新しいマイクとオーディオインターフェースを買いました。)
仕事をただひたすらがむしゃらにしていた時は「自分のため」というのが疎かになっていた気がします。
後回し後回しにしすぎて、自分のためにさける時間がなくなってしまっていた。
そのツケが適応障害だったりするんでしょうか。
ただ頑張ることしかわからなかった。
今もうまく働けるかと言われれば自信はない。
雨が続く季節になりましたね。
空は暗く、ジメジメとするので気分も沈みがち。
私だけじゃないかもしれないんですけど、6月が12ヶ月の中で1番気分が落ち込むんですよね。
母が持っていた占い師の細木数子先生の本を見てみると自分は火星人の+、
月の大殺界(めちゃめちゃに運気が下がるとこ)が6月。
それが関係しているかはさておき、梅雨だし雨鬱陶しいし5月病が1ヶ月遅れてやってきたような感じもするし…。
来たる6月。私のメンタルは無事夏を迎えることができるのでしょうか。
お薬飲み忘れないように気をつけないと。
両親が困ったことに『適応障害』を「都合よく会社を休む口実」としか思っていないことがわかりました。
正直悲しいですが、理解してもらうことが難しいだろうなとは思っていたのでそこまでショックではないです。
私の弟もメンタルがやられて不登校を経験しているのですが、もしかして弟も同じ悲しみを味わっていたのかなと思うと少し苦しい。
体が元気だと中身(精神)も元気だと思いますよね普通は。だから仕方のないことなのですよ。悲しいけど。
休職して1ヶ月が経ち、過呼吸で泣き崩れた最後の出勤日のことをはっきりと思い出せなくなっています。
こんなふうに当時の私のことをブログか何かに残しておかないと風化するんだとあたらめて実感しました。
だからちゃんと書こう。未来がどうなっているかはわからないし、ブログの内容を振り返ることがあるかもわからないけどとりあえず残そう。
夜もしっかり眠れたし(早朝に起こされましたが)、今はエネルギーを補填することに集中しよう。