うつと生きていく死にたがりだったもの

感情に変化があった時に書いてます

すぐ死にたがっちゃうけど生きてみようと思った話

 

連日の雨とクソデカ低気圧のせいで

朝6時起床からの運動の習慣は3日で終わった。

 

それでも「まぁしゃーないわな」で流してブログを書けているので

それほどメンタルは落ち込んでいない。

なんならPMSも相まって普段なら確実に病んでいるのに割と元気にしている。

 

 

最近、ある講演を聴きに行った。

半ば母に部屋から引っ張り出されて、祖母と3人で行った。

 

講演内容は「なぜ生まれてきたのか」「なんのために生まれてきたのか」

頭の中で一瞬アンパンマンが飛んでいったけど、なんと途中で必死に涙を堪えた。

とは言っても泣き虫な性分なのでよく感動したり感極まって泣くんですけどね。

 

 

大きな場所で1対数百人の舞台を見ていると、なんとなく他人事のように聞こえる時がある。

でも先日のは違った。あれは私に対して言っていた。

いってしまえばマンツーマンのカウンセリングを受けているかのような心地だった。

 

 

講演初っ端に出されたグラフには、年齢別の死因がランキングがワースト3位まで載っていた。

これは知っている人も多い事実だし、私も把握はしていたけどやっぱり自殺が1位なのって異常だよね。

そしてその登壇者は「どうして自殺するか(死んだ人には聞けないから「どうしてしようと思ったか」が正しいと思うけど)」を述べた。

 

「なんとなく」

 

この時にグッと私の心が登壇者の方に向いたのがわかった。

なんとなく死にたい。なんとなく消えたい。

そこにははっきりとした理由はない。

ぼんやりと「生きていたって意味がない」「生きる価値もない」「進むあてもない」

そういう考えでいつの間にか頭の中を埋め尽くされていて、自ら命を絶ってしまうんだと思う。

行動に移すのを踏みとどまることも”未遂”に含まれるのなら、私も数十回自殺未遂をしていることになる。

 

結局は怖くて死ねないんだけどね。苦しいのも痛いのも嫌だし。

眠ったままそのまま苦しむこともなく死ねるナニカが手元にあったらもうこの世にはいなかったかもしれない。

 

 

実際、日本を代表する文豪たちも自殺でこの世を去った例が多々ある。

後世に残る作品を生み出した人間でさえ、死ぬ道しか見出せなかったのだ。

ぼんやりとした不安で死んでいった芥川龍之介は自殺したい理由を文字に起こした最初の日本人かもね。知らんけど。

 

どんなに勉強ができても、どんなにたくさんの書物を読んでも、

どこにも生まれた理由も生きる意味もわからない。

 

その上生きている時代は悲惨だ。

少子化、食糧不足、他国の船は日本の領域内をうろつき、政治家は私利私欲のために動く人ばかりであてにならない。

報道は偏向もしくはくだらないことばかり。誰が本当のことをいっていて、誰が嘘をついているのかわからない。

今まで私たちが学校で習ってきたことも、他の誰かが都合のいいように書き換えたものを覚えてきたのかもしれないし、そもそも学んだ内容は本当に私が生きていく上で必要なことなのだろうか?

景気は最悪。止まらない円安。日本円の価値がどんどん下がるって、それ日本の価値がないみたいじゃん。

 

両親が私の年齢だった頃はちょうどバブルの時代。そして私が生きてきた年月はずっとずっと不景気。

不景気しか知らないんだから、私にとってはこの状態がデフォなのよ母さん。

「私が若かった頃は〜…」の話はもういいよ母さん。

 

もし今この瞬間、他国から攻撃されても日本には自国を守るだけの力があるのだろうか?

もし今この瞬間、私が物心ついたときから言われ続けている南海トラフがやってきたら、その先生きていられるのだろうか?

 

そもそもなんでこんなに苦しい時代に私は生まれてきたのだろうか。

こんなちっぽけでなんの力もない私が。

どうして生きているんだろう。

 

死のっかな。

 

 

こういった具合で死にたがり(=私)は完成するのである。

 

 

それでも頑張ってこの国をなんとかしようと奮闘している人がいる。

それを知っただけでも「何にもできない私だけど、とりあえず生きてみようかな」という気持ちになれた。

 

 

そういうわけで今回の参議院選挙には私の票をしっかり使わせていただく。

なーんとなく「無難そう」な政党に入れていた頃とは違う。

私自身の意思を持って投票するのだ。

 

 

よかったリンク貼っとくからサイトとか動画見てください。

元気になれるよ。

 

www.sanseito.jp

 

 

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